恵まれた時代に2人で育児しても孤独な理由

我が家の夫は、世に言う「イクメン」。

「うんちオムツが替えられない意味がわからない」と公言する夫は

料理の腕前はプロ並み、

私よりも綺麗好き、

(お願いした時は)完璧に育児をこなす。

 

普通に父親業をこなしただけで褒められるなんて羨ましい限りだけれど、

多少下駄を履いてもらってでも「育児を楽しんで」もらわないと

生活が成り立たない現実がある。

そして、私の方が多く育児負担をしていることを十分認識している夫は

世間からいかに褒められようとも絶対に「イクメン面」をしないし、

私への労いも事欠かない。

それだけでも本当に恵まれた生活をさせてもらってるな、と毎日感謝している。

 

そんな安泰な我が家でも、ふと虚しくなる瞬間がある。

 

例えば、夫が飲み会で朝帰りをした時。

結婚・妊娠・出産。その都度飲み会の参加率を減らしてきた夫。

そんな夫がたまに羽を伸ばす時くらい、何も言わずに送り出したいとは思っている。

たった月に1・2回のこと。でも、

「ああ、私は飲み会にいくことすら(お酒を飲むことすら)規制されてるのにな」

という気持ちが脳裏を霞める。

夫は「あわよくば参加したい」飲み会にも須らく参加できるのに

私は「仕事のチャンスにつながる」飲み会でも、断り続けて生きていくのだろう。

そして「心が狭い嫁なのかな」「他の家の奥さんは何も言ってないんだろうな」

という自省に近い気持ちと共に、故意にかき消そうとされていく。

「夫と比べちゃいけない」と自分に言い聞かせる。

 

例えば、夫が海外出張の時。

それも、年に数回のこと。

そんな部署に異動できるように応援してきたし、

今まで私が挑戦する時も常に応援してきてくれたし、

精一杯キャリアアップを目指して欲しいと思ってはいる。

でも、ふと、「なんの制約もなく」キャリアを追求できることが

ちょっと羨ましくなってしまうのだ。

出張の間「どこに預けたら良いか・・・」と気を揉むこともなく、

送りも迎えも、その他何もできなくなることも、一切気に病まなくていいことが。

どれだけ残業しても、「誰か」がどうにか生活を回してくれると

無意識的に思えるのだろう。

 

つまる所、きっと私は不安なのだ。

これから仕事と育児を両立し続けていけるのかということ。

その選択が子供を苦しめないだろうかということ。

 

そして、羨ましいのだ。

「共働きでないと育てられない」わけでもないのに

「自ら選んで働いている」ことを突きつけられる毎日。

本来二人で下したはずの決断なのに、

育児にコミットしているのは自分だけであること、

「お母さんだから」それが当たり前であること、

それらを、ふと不公平に感じてしまうのだ。

 

「女性活躍」という言葉を聞かない日はないくらい

数年前よりはずいぶん子育てしやすい状況になったんだと思う。

預かりサービスは充実し、それを使っても後ろ指を差されない価値観が生まれ

お母さんたちに寄り添う声が、SNSでもしきりにシェアされている。

声を上げ、今の礎を築いてきてくれた過去のワーママ諸先輩には頭が上がらない。

それでも、家庭で当事者意識を持っている人が自分しかいない寂しさは未だ払拭されていないように感じる。

きっと夫なしで育児をこなすことはできるだろうと思うし、

その自負もあるけど、

その先にも「結婚当時と同じように」夫を好きでいられる自信が私にはないのだ。

だって、それって同士じゃなくて上司と部下の関係だもの。

上司が今時の若者を、なだめたり褒めたりしながら出来そうな仕事を振っていく構造と

大差ない気がしてしまうのだ。

 

贅沢だよ。もっと大変な人もいるよ。

世の中のお母さん達は、そんなことは誰よりもわかってる。

潰し合うことではなくて

「自分がしんどい」の声に素直になれる世の中であれたらいいなと思う。